2021年


ーーー12/7−−− 讃岐うどんを体験


 
神戸に住む次女の家へ出掛けた。この春納めたデスクの引出しの一部が動き難くなったので、修理をするためである。緊急を要する事では無いと次女は言ったが、そういうのを放って置くのは製作者として落ち着かない。コロナが下火になってきたので、遠出をして気晴らしをしたいという気持ちも無かったわけではないが。

 着いた翌日の朝、修理は30分ほどで終わり、残った一日の使い方として、淡路島へドライブに行こうと言う話になった。ついでに四国まで足を延ばして、讃岐うどんを食べたいと私が言うと、その線で話はまとまった。学生時代に、フェリーの乗り換えで徳島港に立ち寄ったワンポイントが、私の唯一の四国体験であった。だから今回が実質的に初めての四国入りである。

 明石海峡大橋を渡って淡路島に入った。橋は立派なものだった。世界最長の吊り橋だそうである。高速道で淡路島を駆け抜けた。車窓からみた限りでは、自然の野山や林が手付かずで残っている風景が大半で、観光地として名が知られている割には、地味な印象だった。

 四国へ移り、香川県に入った。出発してから既に3時間近く経っている。その時間の長さが、一抹の不安を起こさせた。ここまでして食べに来る価値が、本当にあるのだろうか、一杯200円程度のうどんに、と。

 1時少し前にお目当てのうどん屋に着いた。お目当てと言っても、ガイドブックのトップに出ていた店というだけであるが。農地と住宅地の境目のような場所にその店はあった。お店というよりは、普通の住宅に作業場がくっ付いたようなたたずまいである。その作業場風の部分が、うどん屋だった。店の入り口には、長い行列ができていた。それを見て、第二の不安がよぎった。こういう人気のある店では、店員が居丈高で、不慣れな客に対して粗雑な対応をするのではないか。また客も常連が巾を利かしていて、初めての者が居たたまれないような雰囲気ではないか、などと。

 列が進んで入り口に近づくと、メニューを書いた紙が張ってあった。うどん150円、大盛りが250円、トッピングの品は、天麩羅がちくわと鶏肉の二種類、それに油揚げで、それぞれ100円。それだけである。店内に入ると、注文の仕方が書いてあった。こういう配慮は有難い。「温かいのを大盛りで」と頼むと、カウンターの向こうの店員が、湯を通したうどん玉を二つ、青色のどんぶりに入れて寄越した。一玉だと黒っぽい色のどんぶりである。その先に会計と書かれた札が掲げられていて、その下におばさんが座っていた。脇にトッピングの品が種類ごとに積まれている。分からない事があると、おばさんが説明してくれる。その話ぶりが親切、丁寧でとても感じが良かった。トッピングを選んでうどんに載せると、おばさんが金額を言うので、その場で支払う。後は反対側に置かれた鍋からお玉で汁をすくってうどんにかけ、刻みネギを散らして出来上がり。この作業の流れは、セルフサービス。給仕人は居ない。

 店内に座席は10人ぶんほどしかない。ほとんどの客は、どんぶりを持ったまま外に出て、ベンチに座ったり、あるいは立ったまま食べる。中には、自家用車の中に持ち込んで食べる人もいた。私もいったん外へ出たが、席が空いたと家族が呼ぶので、店内に戻って席に着いた。あっという間に平らげた。初体験の讃岐うどんは、期待にたがわず美味しかった。それまでに抱いた不安は、一掃された。店員も客も、のほほんとして、ほっこり優しくて、感じが良かった。トイレでかち合った男性客も、礼儀正しく控えめで、好感が持てた。庶民的な雑然とした店だったが、トータルとして予想外に素敵な空間だった。これも県民性、地域性と関係があるのかと思った。平日ということもあって、客は地元の人が多かったように感じた。中には制服を着た高校生とおぼしき数人のグループもいた。

 うどんの美味しさはもとより、値段の安さ、客の多さ、作業場のような施設、独特の業態、行き届いた接客姿勢、等々、意外性と心地良さが絶妙なバランスで釣り合っているような、不思議なうどん店だった。この得難い体験をしただけでも、来た甲斐は十分にあったと思った。




ーーー12/14−−−  自演を録音する


 
長女が大学のビッグバンドでドラムを叩いていた頃、楽器の練習に関して話を交わしたことがあった。その頃の私は、ケーナの練習に熱心だった。娘が「録音して聞いてる?」と言った。自分の演奏を録音して聞くことがあるか、という意味である。私が、「ほとんどやらない」と答えると、娘は驚いたような顔をして「録音してチェックしなけりゃダメだよ」と言った。それが練習の基本だと言うのである。

 自分の演奏を録音して聞くというのは、正直に言って気が進まないものである。自分の声を録音して聞いた時と同様に、すごく違和感がある。自分の物とは思えない、予想外、期待外れの印象を抱くのである。そして、概して下手に聞こえる。いや、実際に下手なのだが、もっと上手だと思い込んでいるので、その事実に直面すると、面食らうのである。

 言い換えれば、本人の思い込みと、客観的な事実のギャップを確認できるのが、録音である。それを怠ると、いつまでも自己満足、自己過信に留まってしまうことになる。楽器を演奏して楽しむという点では、それでも別に構わないとも言えなくもない。楽しみ方は各人各様であり、嫌な事を無理にする必要は無い。しかし、音楽に限った事ではないが、他者を意識して、共感を得られるように努めるということは、大切な事だと思う。自分がやっている行為を、客観的に判断できる手段があるなら、使ってみるのも良いだろう。

 演奏は出来なくても、聴く耳は持っている、という事がある。いや、それはごく普通の事であろう。ジャンルを問わず、音楽に対して明確な価値観を持っている人は多い。その一方で、本人は音楽表現をする術を持たないというのが、大半ではなかろうか。自分が発信する能力よりも、理解する能力の方が優れているというのは、極めて一般的な事であると思う。

 以前、音楽大学の学生と話をする機会があった。「私の楽器演奏はほぼ自己流であり、専門の教育を受けたことは無いから、正しい音楽表現を会得するのは難しいように思う」と言うと、彼女はこう答えた「あなたらしい音楽を表現するということは、先生から教えられて身に付くものではありません。あなたがこれまでの人生で、様々な音楽を聴き、感動し、共感を感じる中で、あなたの感性が育っているのです。それをよりどころにして、あなたの音楽を作り上げていく以外に、方法はありません。先生から教わったものは、しょせん先生の世界でしか無いのです。参考にはなっても、あなたの世界を作ってくれるものではありません」

 聴く耳を生かすには、録音をして聞いてみるのが一番である。それを演奏にフィードバックできるかどうかは、別の問題ではあるが。




ーーー12/21−−− 蕎麦打ち一年


 蕎麦打ち道具一式を手に入れて、自宅で蕎麦打ちを始めてから一年経った。当初は、こんな大袈裟な道具を使い切れるかと言う心配を抱いたが、西の台所を蕎麦打ち専用のスペースにしたことで、日常的に作業ができるようになった。安価な蕎麦粉を大きな袋で購入するようになってからは、蕎麦打ちの頻度が高くなった。3月に入ってからは、毎日の昼食はザル蕎麦となった。カミさんはしばらくして脱落したが、私は現在でも続けている。

 蕎麦粉400gに小麦粉100gを加えて打つと、軽めの六食分になる。二食をその日に食べ、残りは冷凍保存して翌日以降に食べる。冷凍保存でも美味しく食べられる方法は確立した。一回打てば三日分の昼食となる。このようにして、三日間のサイクルで蕎麦を打つようになった。一ケ月で10回だから、この一年で100回は蕎麦打ちをしたことになる。

 毎日食べて、よく飽きないわねとカミさんは呆れ顔である。しかしこれが飽きないのである。自分で打っているから、毎回出来栄えに差が出る。少しずつだが、技量が向上していく感じもある。そういうことが楽しくて、続けられたのかとも思う。しかし、以前テレビで見たのだが、毎日同じ蕎麦屋で昼食にザル蕎麦を食べているという落語家がいた。慣れてしまえば、ご飯に納豆、味噌汁の朝食を毎日繰り返すのと同じである。

 蕎麦打ちも、続けて行けば知らず知らずのうちに上手くなっていくものである。楽器の練習と同じで、この上達のプロセスは興味深い。しかし他の作業と比べて、「切り」だけは、なかなか上手くならなかった。切る際にガイドとして使う「こま板」も自作した。セットに入っていたこま板では、私の目的に合わなかったからである。どういうことかと言うと、素人は「倒し」で切り進めるが、プロは「起こし」で切る。細かい説明は省くが、そのように切り方に違いがある。私はそのことをネットで知ってから、「起こし」へ方針転換をした。そうなるとコマ板のフェンスの部分の角度を変えなければならない。そこで自作したのである。

 練達の師に付いて学んだことは無い。ネットの動画などを見て真似をしているだけだから、それらしく見えても中身は自己流である。まさに試行錯誤の繰り返しであった。あまりにも失敗が続き、こんなことではゴールに辿りつけないのではないかと不安を抱いたのもしばしば。それでも半年ほど経ったら、少しは思い通りに切れるようになった。この間の苦労話は、誰かに言って聞かせたいほど沢山あるのだが、そんな事に関心がある人は居なかろう。「切り」に並行して、「練り」や「延ばし」もそこそこ上手くなった。まさに継続は力なりを実感した思いである。

 蕎麦打ちの技術のみならず、蕎麦全般に関しても、少しずつ知るようになった。蕎麦粉も何種類か試してみて、それぞれの違いに驚いた。食べ方も、ザル蕎麦だけでなく、温かい蕎麦も試みたし、「とうじ蕎麦」もやってみた。またツユの代わりに薄めに溶いた餡子に浸して食べる「蕎麦汁粉」なるものも考案した。蕎麦粉を練ったものでリンゴの小片を包み、七輪で焼いて作る「リンゴ入り蕎麦団子」を作ったこともある。ザル蕎麦をリンゴジュースに浸して食べるアイデアも出したが、カミさんから「それは止めた方が良いでしょう」と言われた。

 ともあれ、蕎麦打ちが私の趣味のレパートリーに加わるという、思いがけない事があった一年だった。







ーーー12/28−−−  年末雑感


 
この一年を振り返ってみると、特筆するような事は何も無い、ぼんやりとした一年間だったように感じるが、細かく見れば、例年とは違ったところも、少しは確認できる。

 まず稼業であるが、コロナ禍にも拘わらず、前半は注文仕事をこなして充実した。ところが後半はパッタリと注文が途絶えた。時間に余裕ができたので、10月の展示会に向けて、ハイバックチェアとラウンジチェアを製作した。いずれも背もたれがクッションという、大竹工房としては新しいタイプの椅子である。ハイバックチェアの方は、昨年春にご注文を頂いたものを一般化してラインナップに加えた形。ラウンジチェアは、ハイバックチェアの開発過程でヒントを得て、新規に製作した。こういう作品を作ると、木工家具作家としてさらに間口が広がったような気がする。

 健康活動としての、三本ローラー台の自転車トレーニングは、一年間続けることができた。日に二回、朝食と昼食の後に15分ずつである。何も楽しくないのだが、自ら課したノルマとして取り組んできた。体力維持とダイエットの効果は、そこそこあったように思う。その一方、これまでトレーニングの主流だった裏山登りは、ぱったり途絶えてしまった。

 蕎麦打ちに関しては、先週の記事に書いた。いまだ未熟な腕前だが、年末のご挨拶代わりに何件かのお宅へお送りしたら、けっこう喜んで頂けて、嬉しかった。これからも精進を重ねて、多くの方々に美味しいお蕎麦を提供できればと思う。

 チャランゴ(楽器)に関しては、コロナのためにレッスンを受けられなくなって、二年間になろうとしている。その間、自宅練習は欠かさず行ってきた。人前で演奏をする機会が無いと、モチベーションの維持が難しくなるものである。そんな状況の折、知り合いの勧めで、二月にあるイベントの一コマで、演奏を行う機会を得た。これは自分として初めてのリサイタルであり、貴重な体験となった。

 ここ数年熱心に取り組んでいるマツタケは、今シーズンは残念な結果になった。例年より二週間ほど早く採れ始めたが、発生は少なく、品質もいま一つだった。7年前から続けている山の整備作業も、いまだはっきりとした成果が確認できない状態である。気候温暖化の影響も受けて、マツタケ山の運営は年々混迷の度を深めている。しかし、その難しさ故に、却ってやり甲斐があると、メンバー一同はまだくじけない。

 若い頃からメインの趣味だった登山は、一昨年8月の餓鬼岳でぎゃふんとなって以来、一度も行っていない。今年も、マツタケ山を除けば、一つも山に登らなかった。それでもテレビで山関係の番組があると、録画して観たりはする。観ながら「ちっとも行きたいと思わない」などとひねくれた言葉を発して、家人を笑わせたりする。行きたいと思わないのは、くだんの餓鬼岳日帰り登山で激しくバテて、体力に自信が無くなったからである。体重は落としたし、日々トレーニングもしているのだから、山に登れない事は無いと思うが、その気が沸かないのが情けない。

 この程度のトピックスしか無いのだから、やはりぼんやりとした一年だったか(笑) 

 ともあれ、今年も週間マルタケ雑記をご愛読頂き、有難うございました。 

 どうぞ良いお年をお迎え下さい。